隣人愛
越前 喜六 神父

 人びとに親切に、人を愛しなさいということは、子どものときからよく聞かされていました。しかし、キリスト教では、なぜ隣人愛というのでしょうか。

 これは信者になってからも、気になっていました。隣人というのは、「向こう三軒両隣り」のことでしょう。隣近所との付き合いは、地方では当たり前のことではないでしょうか。それを隣人愛という言葉で人々への愛を説くのは、どういうわけでしょう。

 常識的に考えれば、すべての人々はあなたの隣人ですよ、だから、近所の人々と思って付き合いなさい、ということになるでしょう。わからない訳ではありませんが、愛するということは好意を抱くことと考えていれば、それはとても難しいことでしょう。人間関係には嫌いな人や相性が合わない人、利害関係が衝突する人などいっぱいいます。

 ではどうすればよいのでしょうか。

 まず申し上げなければならないことは、愛するとは、好きになることだけではないということです。人を愛するとは、人に害を加えないで、益になることをしてあげるという「意志の行為」のことです。

 たとえば挨拶すること、ご機嫌を伺うこと、何か有益なお話をすること、感謝すること、謝ること、親切にすること、助けること、ねぎらうことなど、すべて愛の行為です。
 愛ということを感情でとらえると難しくなりますが、キリスト教が教える愛は、感情の愛のことばかりでなく、意志と行動の愛のことなのです。

 人を愛そうと決意していれば、嫌いな人や相性の合わない人にも、優しい言葉をかけたり、親切な行為をすることなど、相手にとって有益なことをするのは難しくありません。

 難しく感じるときは、祈ることです。

礪HOME 


心のともしび
運動本部
電話075-211-9341