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求めるという行為ほどむずかしいものはない。皮肉にも、求める行為は、必ず与えるという反対の行為が伴わなければ現実として完結しないからである。
赤ん坊がお乳をほしがるように、私たちは基本的に求めなくては生存が成り立たない。飲み水食べ物、暑さ寒さを防ぐ衣服と住居、さらに心が幸福になる会話や読書などを、私は求めている。これらの一つさえも満足に与えられていない難民たちは世界にたくさんいるのである。
しかし人間は求めているだけでは、生活は完成していない。赤ん坊の時は求めるだけでいいのだ。しかし大人になるということは、求めて受けると同時に、与える力を持つことなのである。つまり求めることと、与えることとは、一つの行為と言っていい。
衣服の裏表も一体となって初めて役目を果たす。保温性、ファッション性、機能性など、表だけでも裏だけでも成り立たない。
しかしこの与えるという行為の持つ重要性を、戦後の日本は子供たちに教えなかった。
昔の子供は、うちへ帰れば、妹や弟の面倒を見るのが普通だった。弟をおんぶしながら水汲みやご飯炊きをさせられた子もいるし、遊びに行くことを許された時でも、妹をしょったまま縄跳びをしたり同級生と竹薮の中を走り回って遊ぶ子もいた。総じてそういう状況が、しっかりした人間を創った。
自分らしい一生を送るために進路を決めて勉強をする場合も、求める心が強くなければできない。人任せで自分の一生のデザインはできない。「私を幸福にして」と言う人がいるが、皮肉なことに幸福は与えられるものではなく自分で求めて取って来るものなのだし、同時に人に与える義務も負っているのである。
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