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「わたしは神をあがめ、わたしの心は神の救いに喜びおどる。」
世界中のカトリック教会では毎日、『夕の祈り』でこの「マリアの賛歌」(ルカ1・46〜55)が唱えられている。ラテン語で「マグニフィカト」とも呼ばれている伝統的な賛歌である。
ここで「神をあがめ」と日本語で訳されている言葉は、直訳すると「主を私の魂において大きくする」となるそうである。つまり、私の魂の中は神さまで一杯になっている、と言い換えることができるだろう。
なぜ、マリアの心は神さまで一杯になったのだろう。この賛歌はさらに続く。
「神は卑しい はしためを顧みられ、いつの代の人も わたしを しあわせな者と呼ぶ。神は わたしに偉大なわざを行われた。その名はとうとく、あわれみは代々、神をおそれ敬う人の上に。」
天使から「救い主の母」となることを告げられたマリアは、その後、同じく身重であった親類のエリサベトを訪問し、その折にこの賛歌を捧げた、と聖書は伝えている。
神さまがこのような私に目を留めてくださり、偉大なわざを私の上に行われた。それは私が予期しないほどの大きな恵みであった。この賛歌はそう歌い上げている。
この賛歌はマリア様だけの賛歌ではない、と私は思う。心の中を神さまだけで一杯にした人たちが歌う、感謝と賛美の歌でもあるのではなかろうか?
「自己中心的な心」や「他の人を蹴落とそうという心」を捨てて、愛と真理を忠実に追い求め、周りの人々を自分と同じように大切にしようとする人たちの賛歌でもあるのではないだろうか?
毎日の生活の中で、神さまのわざを眺めようと努め、人と人との暖かい交わりの中で、神さまを見いだす人たちの感謝の歌でもあるのではないだろうか?
そう考えてみると、全世界の教会がこの賛歌を毎晩歌う意味も納得できるのである。
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