「心の糧」は、以前ラジオで放送した内容を、朗読を聞きながら文章でお読み頂けるコーナーです。

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待ち望む

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 日本の古典文学をひもとくと、待ちわびる、待ちあぐむなど「待つ」ことにまつわる言葉が豊かなのに驚かされる。中世の人々は「待つ人」だったようだ。

 「伊勢物語」の二十四段は、宮仕えに行った夫を待つ田舎の妻の物語である。妻は心配しながら自力で暮らしていたが、3年経っても音沙汰がないので、再婚することになった。当時の法律では、夫や妻が失われて3年経てば、再婚が認められたのである。ところが結婚したその夜に、夫が帰って来た。3年の任期を命じられていたのであった。

 帰らない夫を待った妻の心情は、こう表現されている。「待ちわびたりける」。すなわち長い間待って、耐え難い思いでいるということだ。出仕した夫から手紙が来ればよかったのだが、それは難しかったのだろう。

 現代では、インターネットを駆使すれば、膨大な情報を得られるようになり、事情がわからないまま心配しながら「待ちわびる」ようなことは無くなった。だが不思議なことに、どれほど豊かで便利な生活に恵まれても、人は「待つ」ことからは逃れられないようなのである。時機を待つ、結果を待つ、幸運を待つ、望みが叶うのを待つ・・。

 小児病棟で、入院している赤ちゃんに付き添う若いお母様たちに会ったことがある。子どもの回復を待って世話をしておられた姿が透き通るように思えた。子どもが助かりますようにという真摯な祈りがそこに見えるようだった。

 人類が出現して以来、どれほどの望みがこの地上を満たし、叶えられるまで、どれほどの時間を待たれただろう。何かを待ち望むとき、私たちの掌は自然に合わされて祈りの形になる。その時地上は透き通った魂であふれるのだ。