ラティスボーンと不思議のメダイ

 アルフォンス・ラティスボーンは有名なユダヤ人で、19世紀の中頃イタリアのローマに住んでいました。彼は無神論者でしたが、彼にはカトリック信者の友たちがいました。

 

 ある日、友だちはラティスボーンにマリア様の不思議のメダイと短い祈りが載っているカードを渡してrこのメダイを首にかけて、この祈りを毎日唱えてください」と願いました。ラティスボーンは「私は無神論者です。宗教に対して興味がありません」と言って断りました。しかし、友だちは「神様がいらっしゃらなければメダイと祈りは効果がないでしょうが、あなたに害を及ぼすことはありません。どうぞ一ケ月だけメダイを身につけて、この祈りを唱えてください」と勧めました。

 

 ラティスボーンは友だちの熱意にほだされて、ついにメダイを身につけて、祈りを唱えることを約束しました。

 

 約束の一ケ月目の最後の日、ラティスボーンはある教会の前を通りかかった時、突然、教会に入ってみたい気持になりました。彼が教会に入ったその時、マリア様が美しい姿でラティスボーンにお現れになったのです。驚いたラティスボーンは大変感激し、その場で洗礼を受けることを決心しました。 

 

 その後、洗礼を受けたラティスボーンはカトリック司祭になり、イスラエルヘ行って亡くなるまで、大勢のユダヤの人々に熱心にキリスト様のみ教えを伝えたのです。

 下の説明をお読みになって『不思議のメダイ』をご希望の方は、こちらよりお申し込みくださればお一人様1個に限りお送りいたします。

不思議のメダイ

カタリナの願い

 カタリナ・ラプレは学校教育を受ける機会に恵まれなかった農家の娘でした。彼女は1806年に北フランスの片田舎、フアン・レ・ムティエ村に生まれ、9歳の時に母を失いました。この母の死は幼い少女にとって、大きなショックでありましたが、イエズスの母なるマリアに頼ることにより、慰めを見い出しました。母の死を知って、カタリナは、母の寝室の椅子に上り、高い棚においてあった聖母像を取り、それを胸に抱きしめて大声でいいました。「愛する聖母よ、私のお母さんになってください」

 以前より、教会ではマリア様への崇敬の念がありましたが、この感動的な出来事が起こってから、マリアの時代が始まったと言えるでしょう。

 その日から、カタリナは聖母に対して、より深い献身的な愛情を捧げること出来る神秘的な力を持った人になったように思えます。未だ年端もいかない少女であったにもかかわらず、母代りとなって、家族の面倒をみなければまりませんでした。父や3人の弟、1人の妹、それに14人の雇人のために、食事のしたく、裁縫、洗濯などの仕事が彼女に課せられました。これらの仕事をしたうえに、彼女は、毎朝に未だ日の昇らない前に家を出て、5キロ先の教会でミサにあずかる時間や、毎日祈る時間をもみつけたのでした。彼女は特に古くいたんだお告げのマリアの御絵の前で祈ることが好きでした。

志願者として

 彼女が18歳になり、妹が家事を引き受けられる年齢に達した時、カタリナは、父親に修道院に入る許可を願い出ました。父親は、この願いを許すどころか激しく反対し、彼の弟がパリで経営するカフェへ、ウェイトレスとして送ってしまったのです。父親は、都会での魅惑的な生活が、カタリナに、修道女への望み忘れさせてくれるのではないかと思ったからです。

 しかし、彼の思惑通りにはなりませんでした。彼女の修道生活への望みは強まるばかりでした。
遂に父親は、彼女の望みを入れて許可を与えました。しかしながら父親の許可だけではカタリナの問題は解決しませんでした。彼女が入会を希望していたパリの愛徳童貞会が申込みを拒んだからです。理由は彼女に教育がないということでした。

 しかし彼女は再び願い出ました。他の修道会の修道女の助けもあって、遂に彼女は教育こそ受けていないが、修道院において、手仕事、祈り、犠牲で奉仕出来ることを総長に悟らせました。
そして1830年1月22日、彼女は志願者として会に受け入れられることになりました。

 4ケ月後にカタリナは、パリのバク通り140番地で修練女として入会を許可されました。カタリナが御出現を見はじめたのは、この修練時代でした。この修練女としての9ケ月間に、彼女は聖堂に入るたびに、聖体の中に確かに在すキリストの御姿をまのあたりに見たのです。

聖母マリアの出現

 このように何度も彼女がキリストの御姿に接したあと聖母マリアの御出現が続きました。カタリナは最初の御出現の様子を次のように語っております。

 「聖ヴインセンシオ(愛徳童貞会創立者)の祝日の前夜、修院長マザー・マルタは諸聖人への信心、とりわけ聖母マリアに対する信心についての話を、私たちにしてくださいました。この話は、聖母マリアにお目にかかりたいという、私の望みを一層強くさせましたので、その夜、それが実現するかもしれないという思いで床についたのです。それは、私が長い間念願していたもの でした」

 「私たちは聖ヴインセンシオの祭服の一部をいただきました。私はその布切れを半分にさき、呑み込みました。そして聖ヴィンセンシオが聖母にお目にかかれる恵みを取り次いでくださることを確信して眠りにっいたのです」

 「11時半に『シスター、シスター』と、だれかが私の名前を呼ぶのを聞きました。はっきり目が覚めた私が声のする方を見ると、白衣をまとった4、5歳の男の子が見えました。その子は私に、『早く起きて聖堂にいらっしゃい。聖母マリアがそこであなたをお待ちです』と言いました。とっさに私には次のような考えがひらめきました。だれかが気付くのではないか、と。子供は答えました。『心配しないで。今は11時半です。みんな眠っています。いらっしゃい。待っています』

 私は子供といっしょに御聖堂の方へ歩いて行きました。非常に驚いたことには、私たちの行く先々には、燈がともされていました。聖堂の入口で私の驚きは頂点に達しました。その子が指先で扉に触れるか触れないうちに、扉がひとりでに開いたのです。すべてのランプとロウソクが燃 え立っているのを眺めることはほんとうにすばらしいことでした。それは、クリスマスの深夜ミサを思わせました。しかし聖母の御姿は見えませんでした。子供は私を祭壇のそばにある司祭用の椅子の方へ連れて行き、彼もそこで待っていました。長い時間が経ったと思われましたが、遂にその時がやって来ました。子供は私に告げました。『聖母マリアがいらっしゃいます。ここにいらっしゃいます』

 絹ずれのような音が、聖ヨゼフの御絵のそばの祭壇の方から、こちらへ向かってくるのが聞こえ、一人の婦人が、祭壇の前においてある椅子に、腰をかけるのを見ました。私は、その婦人が聖母マリアであるかどうか疑わしく思いました。ずっと私の側に立っていた子供は再び言いました。『このお方は聖母マリアです』

 この瞬間に、私は自分が何を感じ、何が私を通り抜けたかをいい表わすことが出来ませんでした。なぜなら、私はそれが聖母であると思えなかったからです。その時、その子は、大人のような強い口調でいいました。『そのお方は聖母です』

 私は、聖母の前にひざまずき、手を聖母の御膝にかけたのです。私の一生涯の中で、最も甘美な一瞬が過ぎました。私は何を感じたかを述べるとは出来ません。聖母は、私に霊的指導司祭に対しては、どのようにふるまえぱよいのかを話してくださり、いくつかの話してはならない事柄をつけ加えられました。また、祭壇の下を指さして、『困難に出会っ蒔には、ここへ来て心を開くように、そうすれば必要なすべての慰めを受けるでしょう』とおっしゃいました。

 どのぐらい聖母のもとにとどまっていたかわかりません。彼女がお去りになる時は、先程来られた祭壇の方へ消えて行かれました。

 祭壇の階段から身を起こすと子供は先程の場所におりました。彼は、『聖母は行っておしまいになりました』と私に告げました」

 「私たちは、もと来た道を通って帰りましたが、その道は燈で照らされ、子供ばずっと私の左側につきそっていました。この子供は、私の守護の天使であったと思います。私は、常に守護の天使に聖母を見るお恵みに与かれるよう祈っていましたので、彼が、私の前に現われて聖母のもとへ案内してくれたものと考えております。彼は白衣に身を包み、日光よりも輝かしい神秘的な光を発していました。ベッドに戻ると時計が2時を打つのが聞えました。その夜、私はとうてい眠ることが出来ませんでした」

 この時カタリナは、聖母と共に2時間以上過しました。彼女は、その御出現の時に語られた聖母の御言葉をつけ加えました。聖母は、神がカタリナに特別の使命をお委ねになるだろうと告げられました。またカタリナが属している修道会に関しての御勧告も与えられました。最後に、聖母マリアは、全世界に向けて御忠告なさいました。

 聖母の御言葉は、

 「現代は悪の時代です。世界はあらゆる悲惨な目にあうでしょう。けれど祭壇のもとにいらっしゃい。御恵みを願う全ての者、偉大な者にも、とるに足らない者にも御恵みはそそがれるでしょう」

メダイを作りなさい

  この最初の聖母御出現は、次にカタリナが述べている不思歳のメダイで有名な御出現の前ぶれでした。

 「1830年11月27日黙想していました時、私は、聖ヨゼフの御絵近くの祭壇から絹ずれのような音を聞きました。その方を見ますと、聖ヨゼフの御絵の高さ位の所に、聖母がいらっしゃるのが見えました。聖母はお立ちになっていらっしゃいました。彼女は中背で白い衣服を召しておられました。お顔の美しさはたとえようもありませんでした」

 「彼女は地球の半分の上に立っておられ、その御足は、緑色に黄色の斑点を持つへびを踏みつけられておりました。御手は胸の下の位置迄上げられ、小さな金色の十字架を上にいただいた世界を象徴する球をあたかも神にお捧げになっているかのように、大変くつろいだ御様子でお持ちになっていらっしゃいました。

 聖母は先ず御目を天に向けられ、そして地に向けられました。私は、各々の指に三つづつ指輪がはめられているのを見ました。きらきら光る宝石で作られたそれぞれの指輪は、四方に輝き渡り、その光は御足元にまであふれ、聖母の御足も見えませんでした。その瞬間、聖母は御目を下に向けられ、私をごらんになりました。私は次のようなお声を聞きました。

 『あなたが見ているこの球は、世界を、特にフランス、とりわけ個々の人々を象徴しています。
そして、この光は願い求める人々に注がれている恵みを象徴しています』

 これによって私は、聖母に祈ることが間違いでないことがよくわかりました。また、彼女に御取次を願う人々には、豊かに報われることもわかったのです。この時聖母のまわりに楕円形のわくが出来その中には、金文字で『原罪なくしてやどり給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我等の為に祈り給え』と、記されていました」

 「金色の球は消え失せ、御手が差しのべられました。その御腕は御恵みの宝石の重みで下りました。そしてお声がしました。

 『これをモデルにしてメダイを作りなさい。それを身につける全ての人は、豊かな恩寵を受けるでしょう。それを首におかけなさい。深い信頼をもってそれを身につける人々は、恵みで満ちるでしょう』

 その時、私には、その絵が裏返ったように見えました。私はメダイの裏を見ました。一本の横木と、十字架をいただい大きなMの字、その下には、二つのみ心、即ち茨の冠でかこまれたイエズスのみ心と、剣でさしつらぬかれたマリアのみ心がありました。そしてその光景は失せました」

 メダイは聖母の御指示にそって作られ、広く普及されることとなりました。このメダイがあまりにも早く広がり、驚くべき恩恵をもたらしましたので、“不思議のメダイ”と名づけられました。人間のまずしさや、病いの程度により、そのメダイの不思議な働きは、驚くべき場合もあり、ごく普通に行われることもありました。例えば信仰への回心、かたくなな罪人の悔俊、家庭の平和、病気の回復等々。このメダイを身につけている人々は、一人ひとりが自己の体験談を語ることが出来るのです。